92歳の母

2日は二男と娘の家族が年始に来てくれて、賑やかな正月になった。

それぞれ男の子が一人ずつで、中1と4年生。

遊んでもらえると待っていた我が家の孫たちは、ゲームに夢中な2人にガッカリ。

年々忙しくなり、おせち料理を作ってやれなくなるが、”筑前煮”と”茶碗蒸し”だけは今年も何とか食べさせることができた。

それぞれ自分の家族の流儀ができてきて、実家にいる時間も短くなっていく。

3日は長男と孫を連れて淀江の実家へ。

自動車道の開通で、1時間で到着。ずいぶん時間が短縮してきた。

実家は、両親と弟、姪。弟の連れ合いは3年前に53歳で癌で他界した。

1時間で行けるのに盆と正月に行くのがやっと。

何歳になっても私を子どもとして気遣ってくれる母に胸が熱くなる。

何時も私の好物を準備してくれている。赤貝の味噌汁、カズノコ、子持ちガレイの煮つけと干し柿。

そして私の孫たちにはお年玉も。

子ども、孫、ひ孫の生年月日を覚えていて、節々(厄年、紐落とし、入学、卒業、結婚等)には祝ってくれる。

帰り際に車のトランクに、米、野菜等積み込んでくれながらいつも言う言葉がある。

「米子市会議員の松本さんが、赤旗の集金に来られるといつも 文子さんはたまには来られますかと聞いてごされるけど、忙しいだか、来りゃあしませんが。電話もかけてきませんでと言うだが。お前も70(歳)だけ、ちいとは楽さしてもらうがいいだないかえ」と。

返す言葉がないので「お母ちゃんの年まではまだ20年もあるが」と別れた。

正月気分も今日まで。明日は党旗びらき。

 

 

 

 

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