同僚議員との別れ

6月7日、同僚議員 川瀬滋子さんの訃報。

市議2期目。68歳。あまりにも若い。

彼女とは同僚議員というより、県職員時代の30年からの同僚。

生活改良普及員として。母親運動の仲間として。労働組合の同志として。

彼女は大学卒業後、京都の普及所に就職し、民主府政の中で鍛えられて帰鳥してきた。

昭和30年代、農水省は農村にパンの普及をさせた。

鳥取県もご多分にもれず、日夜パン焼きかまどとパンの講習をして歩いた。

そんな鳥取県の仕事を見て「農家には米があるのに、何でアメリカの余った小麦を売るために公務員がパンの講習をするの?」

農水省の方針はすべて受け入れて仕事をするものと思い込んでいた私は、「なんて気が悪い人だろう」と思った。

彼女に誘われるままに京都の仲間の研修に参加し、「改良普及員として誰の立場に立って、何を大切にして仕事をしなければならないか」鍛えられた。

公務員は誰のために、どこを向いて仕事をすべきか。

私が共産党に入る原点となった。

残念ながら、これで彼女との距離が開いた。

市会議員になって、所属する会派は違っても少し距離が近づいた。

共に農業、農家、農村の女性というキーワードが近づけた。

今日、一般質問でTPPについて質問し、終わって市長の答弁にあれこれ話す彼女がいない。

改めて実感。

本当に本当のたくさんの心残りがあったでしょう。

何んとも言いようがない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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